ローカルメディアで活きる、
編集者がもつ“よそ者”の視点とは?
ここ数年、地方のローカルメディアが元気です。紙媒体、Web媒体とスタイルはいろいろあるものの、地域に根差した個性的なメディアが増えつつあります。そこで、『ローカルメディアのつくりかた』などの著書がある、千十一編集室代表の影山裕樹さん(写真左)と『Japan Editors Labo(ジャパンエディターズラボ)』顧問で編集家の松永光弘さんが、「ローカルで編集者ができること」をテーマに対談をしました。
松永さん(以下敬称略) 編集家で『Japan Editors Labo(ジャパンエディターズラボ)』の顧問をしている松永です。Facebookではつながっていましたが、対面でお目にかかるのは初めてですね。影山さんのローカルメディアを軸にしたご活動に大変興味を持っておりました。今日はよろしくお願いします。
影山さん(以下敬称略) 対談にお誘いいただき、ありがとうございます。『Japan Editors Labo』というのは、編集者の集まりなんですね。僕も『EDIT LOCAL LABORATORY』という、主にローカルメディアに関わる作り手が集うラボを運営しています。“編集”という仕事の拡張を目指す、という目的は一致していますから、二つの編集者の集まりで何かご一緒にできたらいいですね。
松永 ええ、ぜひぜひ。それでは早速ですが、影山さんの簡単なプロフィールとローカルメディアに関心を持たれるようになったきっかけを教えていただけますか。
影山 雑誌編集部を経て、アート系の出版社社員として書籍編集をしていました。2010年に独立してからも、アート系の書籍に関わっていましたが、2012~13年ぐらいに地方開催の芸術祭が盛り上がってきたんです。そのなかでも僕は特に青森の「十和田奥入瀬芸術祭」に深く関わらせていただき、芸術祭の記録集を編集するだけではなく、コピーやコンセプト作りに至るまで、1年間、じっくりと関わる機会に恵まれました。そうしたなかで、「エディターはディレクターでもある」という発見がありました。企画チームでいろいろ考えて生まれたのが2013年の「十和田奥入瀬芸術祭 SURVIVE この惑星の時間旅行へ」というコピーです。僕は東京生まれ、東京育ちですし、今も住まいは東京の上池袋付近ですが、アートに加えて、ローカルというテーマが仕事に加わるようになったのは、間違いなく「十和田奥入瀬芸術祭」がきっかけです。
松永 影山さんが芸術祭に関わるなかで、ローカルというテーマを強く意識するようになったのはなぜですか。また、「エディターはディレクターでもある」という発見も気になります。そう思われた理由も教えてください。
影山 地方に長期滞在して「都会のメディアは地方の面白さを今まで全然うまく伝えられていなかったんだな」と思いました。地方の面白さ、多様さをとらえきれていない。たとえば、都会のメディアの「京都特集」などは、市内のお決まりのショップ紹介に留まりがちです。東京目線だとそうなるかもしれませんが、地元に住む人たちはそうした記事に紹介されない場所を面白がっている。地元では内発的に面白い場所や文化が生まれているんだけど、なかなかそうした動きは東京のメディアの「京都特集」には掲載されません。でも、ローカルメディアなどでは話題になっているんですね。ただし、地元ならではの文脈の中での動きですから、よそ者視点で俯瞰してディレクションしながら見せる、というのは、意外と難しくてできていないケースも多い。それができるのが、プロのエディターだと思ったんです。
松永 なるほど。客観的な視点から物事を見る、編集者の”よそ者”という特性が長所となり得るということですね。
影山 そうですね。とはいえ、地元からもわかる文脈でディレクションするのが鉄則だろうと思います。東京の恵比寿や代官山といった街で生きている人たちの感覚で語られるだけの情報ってどうなの? と僕は感じますから。
松永 おっしゃる通りですね。僕は四国の徳島で、あるプロジェクトに関わっているのですが、新聞が読まれないこの時代にも、徳島の地元紙はしっかりと現地の人たちの信頼を得ているんです。そういう様子を見ていても、地元の文脈を知り尽くしていることの可能性を強く感じます。
影山 地方ではタウン誌もよく読まれていますよね。僕は都会のメディアを頂点としたピラミッド型の価値観に疑問を持っています。実はローカルメディアの編集者の間でも、なぜか「私たちは所詮、ローカルメディアですから」といった都会のメディアに対して卑下する傾向がある気がします。可能性が大きいローカルメディアの当事者さえ、そう感じてしまう現状は、まだまだメディアに対する考え方が固まっている一例です。これからは既存のマスメディアの報道以外のリテラシーもとても大切だ、という共通認識をメディア全体で一緒に持てるといいな、と考えています。ですから、東京出身の僕なんかは、どこへ行っても“よそ者”ですが、だからこそ、少し俯瞰した視点を提供しつつ、各地域のブランディングの発明のお手伝いができたら、と思っています。そして、地元クリエイターの“地産地消”がうまくできるようになるのが理想です。
松永 地域の持ち味を生かす、表現するという意味でも、地元クリエイターによる地元発のクリエイティブはすごく大事ですよね。
影山 ローカルメディアの可能性は広がっているんですが、一方で、自治体の広報活動は、地元にも都会にもあまり届いていないと感じます。落下傘的に都会からコンサルタントのような人材を招くケースも多々ありますが、地元の情報は地元のエディターやクリエイターのほうが知り尽くしていますからね。ただし、クリエイターの“地産地消”がうまくまわるには、一定数の人材が集まってクリエイティブ・コミュニティを作るのが重要です。それがまた難しいところで……。都会からディレクションしながらエディトリアルもできるプロのエディターが入って、ある程度までマネジメントするのがいいのか、僕もまだ最適解がわかりません。うまくできるメカニズムを解明したいです。今、仕事と並行して大学院の修士で学んでいますが、このテーマで修論をまとめたいと考えています。
松永 「内と外」のバランスは本当に難しいですよね。地元の情報を知らないと話にならないし、でもよく知っているからこそ気づけなかったり、うまく伝えられなかったりすることもありますから。「内か、外か」という単純な区分以前に、見きわめる目というか、姿勢というか、ある種のリテラシーのようなものが大切です。僕はそこで必要になるのが、編集というものの考え方だと思っています。編集って、すごく簡単にいうと「文脈を使って物事をメイクセンスさせる行為」だと思うんです。文脈を設定したり、変えたりしながら、物事にさまざまな解釈を与えて価値化していく。地域の活動には、多かれ少なかれ、“すでにあるもの”の再解釈が求められているわけですから、そういう編集的な目が必要ですよね。
影山 そうですね。その地で暮らしていれば当然わかっている地域内文脈という暗黙知があります。暗黙の了解で仕事を進められるのは日本企業の強みだと思いますが、地方の外にいる人に伝えるには言語化・可視化・形式知化が必要ですし、地元の人にとっても再発見や再確認できる機会になる。言葉になりづらい部分の文脈を見えるようにする、というのは大切です。僕は、鹿児島の桜島のお土産『ハイ(灰)!どうぞ!』という、桜島の灰が詰まった缶詰を見つけた際、思わず笑っちゃったんですけど、なるほど、と思いました。その地の特徴をズバリと表したお土産です。わかりやすい。付近に住む地元の人たちにとってみれば、桜島の灰なんて珍しくもないわけですが、可視化されることによって、地方の外にいる人にも強く印象に残ります。暗黙知を上手に言語化や可視化できるサイクルが循環されるようになると、地域や地方の企業のブランディングにも大きく役立つはずです。
松永 大事なのは、単なる言語化や可視化ではないということですね。まずきちんと魅力となる価値を見つけていること。そこにこそ、編集者が関わる意義があると僕は思います。
影山 はい、ローカルメディアに求められるのは、単に編集者がメディアをつくるだけではなく、ローカルの価値を可視化してもっともっと上げていくこと。僕は酒好きで、酒が入らないと単なる情報しか喋れない性格なんですが(笑)、全国に散らばっている『EDIT LOCAL LABORATORY』のメンバーたちと話すと本当に勉強になります。
松永 今、地域で仕事してみたいという編集者が増えている印象がありますが、“食べていく”のは、実際のところどうでしょう? 難しいとお考えですか。
影山 ローカルメディアは、現状、かなり属人的な部分に支えられていると思います。1階で別の商売をし、2階を編集部兼住まいにして1人で運営しているとか、複数の“小商い”を掛け持ちしながらやるとか。やる気のある人々の頑張りに支えられていて、少なくとも今は、決して大儲けできるビジネスではありません。さらに、“よそ者”の場合、実際に住んで覚悟を示す必要も場合によってはあります。だから、正直に言えば、気軽になんとなく「やってみたい」で参入してうまくやれるかは難しいところです。いろいろな仕事を楽しんで掛け持ちしながら小商いできる人に向いているんじゃないでしょうか。
松永 自治体や企業との関わり方も重要なポイントかもしれません。ポジションや、立ち位置のつくり方の部分です。そのへんのところはデザイン畑の人たちはうまいですよね。
影山 ああ、確かにそうですね。デザインのアウトプットは広く伝わりやすいからかもしれません。
松永 地域活動にせよ、企業活動にせよ、「編集者」として関わろうとすると、役割が見えにくくなるところがある気がするんです。デザイン業界の人たちを見習って(笑)、単なる「編集者」「エディター」ではなく、「〇〇エディター」と呼べる職種をたくさんつくっていってもいいのかもしれないですよね。
影山 特徴をわかりやすく伝える言葉なり肩書きなりを見つけたいですね。それから、ローカルって地方に限らない、という視点も大切です。たとえば、僕は池袋周辺を第2の「谷根千」にしたいと思っていて、どんどん仕掛けるつもりです。「谷根千」は森まゆみさんたち、雑誌『谷根千』の関係者が街の魅力を掘り起こした東京の中の“ローカル”でした。都会のメディアで働いている編集者は、ローカルを身近な視点でとらえてもいいんじゃないでしょうか。いずれにしても、各地のローカルでそれぞれの「文化的遺伝子=ミーム」を取り戻す作業がこれから求められていくと思っています。
松永 ミームですか。人から人へ伝わっていく文化的遺伝子、といったらいいでしょうか。
影山 はい。各地にそれぞれの文化的な遺伝子ともいうべきものがあると思います。それは地域特有の手仕事だったり、方言だったり、先ほども言った暗黙知として受け継がれてきたもの。そうしたミームをローカル・コミュニティ内で改めて煮詰めていった先で、失われそうになっている各地のミームをしっかり残す土台ができると思うんです。それぞれのローカルがあり、全部違うものであっていいし、違うべきです。
松永 いわば地域の文脈を浮き彫りにしていくということですね。それは本当に大切な仕事だと思います。そのローカル・ミームのプロジェクトにしてもそうですが、今日こうしてお仕事の様子をうかがっていると、影山さんは“クリエイティブな”仕事をされているという以前に、“クリエイティブに”仕事をされているとすごく感じました。それが編集者としての活躍の鍵を握っているのかなと。編集仕事の領域を拡張していくには、編集者は新しい仕事を「つくっていくんだ」という意識をもっと持ったほうがよさそうですね。本日は貴重なお話をさせていただき、本当にありがとうございました。
影山 こちらこそ、ありがとうございました。
撮影/伊東祐輔 取材&文/中沢明子