編集家・松永光弘の
「超編集脳」
編集家であり、「編集を世の中に生かす」をテーマに、出版だけでなく、企業の広報やブランディング、研修やスクールの立ち上げ、講演など、様々な「モノやコトの編集」に取り組み、多方面で「編集脳」を活かす松永さんの、頭の中をのぞき見するミニコラムです。
編集者の仕事のなかには、「最適化」をテーマとしているものが少なくない。知識や情報の整理も、文章をイジるのも、コンテンツの編成も「最適化」。マイナスに陥らぬよう、ゼロを維持することが基本だ。しかし、編集の真骨頂は“その先”にあるとぼくは思う。ゼロを超えた地点へのプラスの創造、つまりは物事を再解釈したり、再定義したりすることによる新しい価値の提案である。ときに編集者が新しい文化を生みだす起点となるのは、調整力にすぐれているからでもなければ、売る力にすぐれているからでもなく、高い提案性をもっているからだ。自分が手がけたこの編集は、社会に新しい価値を示すことができているのか。そういう目線をもつことを、つねに忘れないようにしたい。
すぐれたデザイナーは編集の目をもっている。その代表的存在といえるのが水野学さんだ。くまモンを生みだすために数千もの“パーツちがい”の試作をつくったのは有名な話だが、あのプロセスはまさに編集そのものだとぼくは思う。情報の組み合わせのなかであらゆる可能性をさぐりつつ、多様な価値の創出に取り組んでいる。忘れてならないのは、最後にはきちんとそこからひとつを選び取っているところ。やはり編集には“見きわめ”が必要だということを彼の仕事は教えてくれている。余談だが、ぼくは水野さんに自著の装丁をしてもらったことがある。そのとき提案されたのは約100案。そして判断の材料にと、彼が解釈した「松永さんらしさ」も教えてもらった。いわく、「ちゃんとしているけど、ちょっと変」。見きわめられていると思った。
これまでの自分の専門領域からはみ出して、異なる領域の仕事にたずさわる「越境」が、この数年、とくに注目されている。越境すると新しい価値が生まれやすくなる、という。なぜだろうか。それは越境によって編集が起こるからだ。編集とは、組み合わせのなかで価値や意味を引き出す営み。異領域にたずさわる=新しい組み合わせのなかで、新たな文脈が生まれ、もともとの領域でつちかったスキルやノウハウが再定義されるのである。もちろん、同じことは「編集という仕事」にも起こせる。出版ではない領域との組み合わせは「編集という仕事」に新しい役割を与えてくれる。大切なのはアタマでっかちにならずに、とにかく越境してみること。そうすれば、おのずと「編集者としての新たな価値」が引き出されてくる。
1枚のジャケットを「今シーズンの流行の象徴」と扱ったり、「着まわしの定番」としたり──編集はモノやコトの“意味”を自在にあやつって、暮らしのなかでの生かしかたを提案する。ぼくはこれを「生活実装」と呼んでいる。学術的な研究や要素技術の社会への適用をはかる「社会実装」にちなんだ造語だ。だれもが自分らしい生きかたを大切にするいまの時代は、利便性や機能だけではニーズに応えることができない。それぞれの暮らしのなかでモノやコトがつむぎだす“意味”が問われる。その解釈を編集がになっている。「生活実装」が進めば、私たちの毎日はほんとうの意味でゆたかになる。成熟の鍵を編集がにぎっているのである。
「あなたの街の魅力はなんですか?」と行政関係者に訊ねると、けっこうな確率で「人です」という答えが返ってくる。だが、もしそれが真実だとしても、たくさんの街で同じ考えをもっている以上、残念ながら、その街ならではの魅力とはいえない。地域の時代といわれるいま求められているのは、それぞれの街を象徴できるユニークな魅力である。では、そんな魅力をどうやって見つければいいのか。じつは街の当事者にはそれが難しい。「自分や自分が属している組織などの魅力は、自分ではわからない」「自覚しづらい」からだ。魅力は他人のほうが見つけやすい。さまざまな地域で編集者が活躍しはじめている理由のひとつもここにある。「中立」「対等」「客観的」という編集者の独特のスタンスは、地域の魅力発見にも役立つのである。
だれもが情報の選別眼をそなえ、「いらないもの」がすぐさま切り捨てられてしまういまの時代。企業にも、耳ざわりのいい言葉を並べた宣伝文句とはちがった、“本気の情報発信”が求められている。といっても、ただ事実を正確に発信すればいいというものでもない。期待されているのは、本気でありつつも、楽しめたり、役に立ったりする情報、つまりは「本気のコンテンツ」。そのカギをにぎるのが編集者だ。雑誌であれ、書籍であれ、ウェブであれ、編集者はいつも良質なコンテンツで人びとをうならせてきた。これまでつちかってきた価値発見の力、目利きの力、伝達の力が、さまざまな領域でいま必要とされている。
編集というと、記事や書籍、映像を扱ったりすることから、「モノをつくることにひもづいた営み」のように思われがちだ。でも、実際にはモノをつくらない編集もあります。たとえば、だれかの考えを聞いて、整理して方向づけてあげるのも編集。会議の席で出た話題に対して、新しい視点や新しい解釈を指摘するのも編集。文脈をしっかりと意識して、モノやコトから意味を引き出したり、コントロールしたりするところに本質があるわけで、そう考えれば「編集の仕事」の領域はもっともっと広がる。
たとえば、ここに1枚の白い紙があるとする。そのそばに鉛筆と消しゴムを置けば、紙は「書くための道具」となる。でも、ハサミとのりを置けば「工作の材料」になる──関係づけるものを変えることで、そのものの価値や意味を変えてしまう。つまりは、「組み合わせのなかで価値や意味を引き出す」。これが編集の基本形だ。もちろん、出版やメディアだけの話ではない。編集は世の中のあらゆるものごとを“価値化”する。さまざまなビジネスや活動、日々の暮らしに、新たな可能性や豊かさをもたらすことのできる営みなのだ。